平安時代の皇后と中宮の違いをチェックします!NHK大河ドラマ『光る君へ』で一条天皇に入内した藤原隆家の娘である藤原定子。
父兼家のあとに摂政になった藤原隆家は、娘の定子を中宮(正妻)にすると道長に命令しました。皇后と中宮って何が違うのでしょうか?
今回は、平安時代前例のない『中宮』になった藤原定子で疑問になった皇后と中宮の違いについてチェックします
皇后と中宮の違いをチェック(平安時代)
皇后と中宮の違いについては、基本的にどちらも天皇の正式な后(きさき)であり序列に差はありません。
ただし、歴史的な背景や特定の時代における状況によって、これらの称号に違いがありました。
平安時代の皇后と中宮
平安時代については
- 中宮・・・皇后の住まい→皇后の別称
となったことがありました。また、1人の帝に対して中宮と皇后が同時に存在することは通常ありませんでした。
藤原定子が中宮(皇后)になったエピソード
藤原定子が一条天皇に入内した当初は、女御の称号を受けました。女御は天皇の正式な妃の1人に与えられる称号で皇后に次ぐ地位で皇后がいない場合は最も高い地位の妃とされていました。
一条天皇の正妻は藤原定子なのになんで皇后になれなかったの?
皇后の称号はすでに使用されていたので使えなかったからです。
一条天皇の父第64代円融天皇の皇后の遵子様が皇后でした。
藤原定子が入内したときは、皇后、皇太后、太皇太后の三后がいたため、正妻の称号皇后の空きがなかったんです。
- 皇后:天皇の正妻(藤原遵子 ふじわらのぶこ)・・・一条天皇の父親64代・円融天皇の正妻。藤原公任の姉※中村静香
- 皇太后:前天皇の皇后または現天皇の母(藤原詮子 ふじわらあきこ)・・・一条天皇の父親64代・円融天皇の女御で一条天皇の母※吉田羊
- 太皇太后:先々代の天皇の后(昌子内親王 まさこないしんのう)・・・第63代・冷泉天皇の皇后。61代・朱雀天皇の皇女
吉田羊さん演じる一条天皇の母がもともと皇后ではなくて、女御で天皇を産んだ母になったから前天皇の皇后遵子さまが皇太后にならずにそのまま皇后として在籍していたんだね!
そこで道隆は、中宮(皇后の別称)を新たな后とし皇后と同様の扱いにして、定子をその位に就かせることを強引に推し進めました。
この、道隆が進めた前例のない「皇后と中宮を並列する状況」を道長は使うことで権力を拡大することになります。
まとめ
今回は、平安時代前例のない『中宮』になった藤原定子で疑問になった皇后と中宮の違いについてチェックしました。中宮は皇后の別称でしたが同じ意味でした。しかし、当時皇后の空きがなく、一条天皇の正妻だった定子には皇后の称号が使えなかったため、中宮という名を使うことで皇后の位を二人に就かせる強引な状況を作り出しました。しかし、この皇后と中宮を並列させる状況はのちに弟道長の権力を強める結果となるのでした。