大奥最終回で倫子さまの娘の万寿姫がでてきましたね。生まれたタイミングはいつだったのでしょうか?家治が亡くなったあと時が経っているのでびっくりした方もいたのではないでしょうか?生まれたタイミングはいつだったのでしょうか?歴史上の実際に生まれた年も気になりますよね。
今回は大奥万寿姫が生まれたタイミングはいつ?歴史上もチェックします。
大奥万寿姫が生まれたタイミングはいつ?【フジテレビ小芝風花】
家治が吐血する最終回の1話前の10話、田沼にだまされていたことに気づいた後、家治は倫子がそばにいてくれる大切さに夫婦の絆を深めます。家治と倫子が寝室で一緒にいる際家治はもう一人子供を授かることができたら「万寿」と名付けたいと語っています。家治が吐血する前の元気なこの頃に授かったと推測できます。
そして、家治が亡くなり江戸城のあと3か月後、家治からもらった方位磁石をもって「私はどうしたらいいのでしょう」と倫子が自身に問いただしているときにお腹をさすっていたためその時に、胎動に気づいたのでしょう。
そのあと、倫子の身の回りの世話をするのにお品が呼ばれていたのでその後出産したと推測されます。
大奥万寿姫の生まれたタイミング歴史上はいつ?家治の子供年表
ドラマ大奥では、家治の子供の生まれたタイミングが違います。
ドラマ内の順番
- 側室・お知保 竹千代出産
- 倫子 千代姫出産
- お品 貞次郎出産
- 倫子 万寿姫出産
歴史上の順番
- 1756年 倫子 千代姫出産
- 1757年 千代姫早産
- 1761年 倫子 万寿姫出産
- 1762年10月 お知保 竹千代出産
- 1762年12月 お品 貞次郎出産
- 1763年3月 貞次郎死去
- 1768年 万寿姫尾張徳川家と縁組み
- 1771年 倫子死去
- 1773年 万寿姫死去
- 1779年 家基死去(竹千代)
- 1786年 家治死去
ドラマでは、側室が先に出産して嫉妬に苦しんだ倫子でしたが、歴史上では先に倫子が女の子を二人生んでいます。
倫子に女児しか生まれなかったため、側室に子どもを託したのか二人が同じ年に男児を出産。
歴史上は倫子も34歳で亡くなりました。その後万寿姫も12歳という若さで亡くなっています。家治の家族はみんな早世だったのですね。
実は家治の死去は、倫子や子供たちよりも遅い1786年の49歳の頃でした。
歴史上とは随分違う設定になっていますが、ドラマ版と歴史版比べるとまた楽しいですよね!万寿姫が婚儀の話も出ていたしこのまま長生きした可能性が高いです。
まとめ
今回は、大奥万寿姫が生まれたタイミングはいつ?歴史上もチェックしました。フジの大奥では、万寿姫は家治が病に倒れる前に授かり、倫子は家治が亡くなった後に妊娠に気づきました。大きくなった万寿姫の姿が輝かしかったですよね。
実在では、倫子との間に子どもが生まれるのが早く、万寿姫も竹千代や貞次郎よりも早かったことが分かりました。家治が亡くなるのも倫子の後ということで歴史とドラマ比べることでまた大奥を楽しめますよ!